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言いたいこと言えない日本になっちゃうのか。

先日の都立大学での事件、衝撃的でしたね。宮台真司さんが襲われた事件です。講義のあと、人気の少ない場所で暴漢に襲われ、全治一か月の大けがです。安部元首相の襲撃事件に続き、なんでこんなこと起きるのかって。

私、宮台真司さんの動画は結構よく見てました。かなりはっきりと自分の論調を話す方で、過激な部分もあったかもしれませんが、言論が暴力によって抑えつけらる、こんな事件ばっかりだと言いたいこと言えなくなります。

SNSもそうですが、何か尖ったこというと、見ず知らずの人から叩かれる。なんか昔の方が全然言いたいこと言えたんじゃないでしょうか。近い人だとその発言の背景とか、なんでそういう結論に達したのかがわかるから、批判するのは良いですが。切り取られた情報を、自分自身のとらえ方で勝手に解釈して批判する。発信者の真意は全然伝わってなく、あくまでも捉え方で批判されるのであれば、それは相手不在の自分勝手な行動だと思います。

SNSの発達とかネットニュースが一般的になった現在、情報を伝える際のテキストの文字数が限られているし、動画も長時間なものは見てくれなくなる。だから情報の発信がどんどん簡略化され、切り取られ方が大きくなっていると思います。そうすると、真意が全然伝わらず、分かりやすい情報だけ伝わってしまうのです。それも、言論弾圧の間接的な要因な気がします。

相手のことを批判する人。それは行き過ぎると、単なる自分勝手なわがままになっちゃいます。そういう人と付き合ってしまうと、言いたいこというと面倒だから、静かに人が離れていきます。人の話を聞くというのは、発した言葉でなく、なんでそういう発言になるかっていう見えない部分も理解することです。

何かを議論するとき、お互いの意見が相容れないことはよくあります。で、そこで話し合うことで議論は深まって相手への理解が深まるんです。けんかではありません。

ただ、意見がぶつかったときに、感情が入ってしまうと全部そこで終わりです。一時の感情の高ぶりも問題だけど、相手が誰々だからということになってしまうと、良い議論にはなりませんし、それ以上話しても時間の無駄になります。議論してどっちに向かうか?が目的ではなく、相手が嫌いだから打ち負かしたい、になってしまう。その段階で議論しても何も生まれません。

ちょっと話はそれちゃいましたが、宮台真司さん、命に関わることでなくて良かったです。こんな事件続くと、言いたいこと言えない世の中になっちゃいますね。