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遠回りも作業の標準化のひとつかも

補助金が採択されたこともあり、私の頭の中、製造工程をどうやって改善していくか?で頭が一杯です。

Windows95の登場以来、ITの発達は目覚ましく、主に事務作業の効率化はどんどん進んでおります。「手書き」の作業がどんどんなくなり、事務作業の時短はここ20~30年でとんでもなく大きいものだと思っています。

その発想をどんどん製造現場の方に応用できないか?ということです。職人技、属人的技術、もちろんモノづくりでは必要不可欠ですが、この人手不足の環境では、いつまでも特定の人の裁量に依存するわけにはいかないと考えています。

そもそも事務作業をパソコンで行う前は、情報が特定の人の頭にしか入っていなくて、特定の事務作業は特定の人にしかできない状況でしたが、今やクラウドもありますから、事務作業がどんどん標準化されて、今日入社した社員だって、それなりに戦力になりうる時代です。同じことが製造現場、特にうちのような零細工場で出来ないかということです。

うちの作業で言うと、小ロットシールのカット、もともとは人がカッターで切っておりました。印刷材料にトンボを書いて、定規を当ててカットする。今、うちの会社では、カッティングプロッタという機械でカットしています。カッティングプロッタでカットするためには、専用のトンボを印刷して、センサーで読み込んで、という作業が必要です。それはカッターで切っていた時代より、むしろ工程は増えているかも知れません。でも、そうすることにより、今日入社した社員でも、シールのカットを安定的に進めることが出来るんです。

作業効率化というと、出来るだけ工数を減らして、という考えになりますが、むしろ工程が増えたとしても、その後の本作業が考えずに、楽に、早くできるのであれば、必要なことだと考えています。

だから、狭い視野での時短というよりか、もっと大きな視野で作業を考えて、トータルで効率化できないか?そういう視点が必要かと思います。作業を標準化出来れば、特定の作業者の裁量に左右されません。つまり、仕事が詰まってくれば、他の人に振れるわけです。特定の作業者の作業時間をどんどん早くしても、仮にとなりにいる作業者の手が空いているのであれば、作業が早くなるというアドバンテージが無くなってしまう。全体最適ではなく、部分最適だということです。

大量生産と違い、多品種少量生産は標準化が難しいと言われています。それは正しいし、すべてをオートメーション化するなんていう考えは全くありません。どんな状況でも、人は必要です。そうではなく、その人の作業のうち、標準化できることを見つけて改善していくことは可能だと思うんです。もしかしたら2割かも知れないし、1割かも知れない。でもその積み重ねが、数年後にはとんでもない差になると思うんです。

最新の機械をずらっと並べて大量生産、そんなシーンはうちの工場には存在しません。でも、痒いところに手が届く小さい設備を揃えて、その機械を人間が使いこなし、多品種少量の製品を品質を維持しながら生産していく。そんなことが出来るんではないかと。そんなこと想像しながら、工場を眺めております。