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ムダがあった方が、人は育つ

最近、予算の管理も徹底していることがほとんどですから、民間のお仕事、公共事業、どの仕事も金額にはシビアです。注文管理も今はデータベース化されていますので、数量も納期も細かく分かれています。そもそも自動発注ですから、担当者が把握していないこともしばしば。

そのような状況であるとムダな発注というものはなく、失敗が許されません。ちなみに、今も同業者の中でよく行われていますけど、注文数量に予備を付けて納品して、不良があれば補填してもらう仕組み、以前は一般的でした。でも今は在庫管理の問題もあり、多めに入れると逆に怒られることもあります。

作る方も出来るだけ不良を少なくする必要があります。数量が小分けで値段もシビアだからです。そうなると、なかなか失敗するチャンスがない。それは、製造業で人を育てる上では結構な障壁です。初心者だけど、失敗してはいけません。そうなると、なかなか仕事を任せることが出来なくなってしまいます。

失敗に伴うコストは会社側で負担するのは出来ます。失敗の大きさの度合いによりますが、吸収できる範囲であることが多いです。だから、失敗は気にしないで!っていうけど、実際の金額よりも、精神的なダメージの方が大きいのです。作業する側はどうしても委縮してしまうのです。

以前は大量生産が主流でしたので、10000個の注文であれば100個くらい不良だしてもあまり目立たないです。でも、今は、特にうちの会社は多品種少量生産なので、絶対失敗できないことが多すぎるんです。だから、育てる環境が以前に比べて厳しいんです。

昔は見て覚えろ!!でした。毎日同じ作業していれば見て覚えるチャンスはたくさんありましたから。でも、今の状況は全然違う。なので、人に作業を教えるのが本当に難しいです。気合とか、最近の若者は・・とか、そういうのは原因ではなく、仕事の内容が変わってしまったのが一番の要因かと思います。

以前、公共事業が今ほどシビアではなかった頃、誰も通らない場所に道路を作っていました。道路を作るには建設機械が必要で、その建設機械には部品がたくさん必要。その部品を作る工場に注文が入る。そうなると、職人に仕事が舞い込む。そんな、一見ムダにしか見えない事業でも、仕事は色んな人に波及していました。そうなると、最終的にムダなんだけど、その職人さんは経験値アップできる。もしかしたら、そのムダな事業のおかげで培った職人さんさんの技術で、新規の製品を開発。その製品のおかげで、色んな人が便利になる。その金銭的価値は数億円とか。あくまでも想像ですけど、そんなこともゼロでは無いのです。

なんでもムダ排除!!決まったものを決まった数量で決まった日まで!!もちろん理屈では正しいんですけど、あまりにムダを省き過ぎると、育てる余裕が無くなるのも確か。一過性のコストばかり気にしてしまうと、大きなチャンスも逃しちゃうかも。だから、一概に、ムダ=悪、とは言えないですね。