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議論が噛み合わないのはなぜか。感情論という壁と、信頼の分岐点。

朝の「強制終了」という決断

今朝は散々なスタートでした。Windowsの更新が始まったが最後、画面が1時間もぐるぐる回ったまま……。結局、意を決して「強制再起動」という禁じ手に打って出ました。あのボタンを押す瞬間のドキドキ感、皆様なら分かっていただけるはずです(苦笑)。

結局、朝のゴールデンタイムを1時間半も失ってしまいましたが、この「噛み合わない時間」へのイライラから、ふと仕事上のコミュニケーションについて考えさせられました。

なぜ、議論は平行線をたどるのか

30年以上仕事をしていると、コミュニケーションがどうしても取れない瞬間に何度も立ち会います。その原因の多くは、話し合っている「土台」が根本からズレていることにあります。

例えば、こちらが業務上の不備を指摘する。 本来なら「どう改善するか」という出来事ベースの話をしたいのに、相手はそれを「自分自身を否定された」と受け取り、感情論にすり替えてしまう。こうなると、もう議論は噛み合いません。感情のスイッチが入ってしまった時点で、前向きな解決策への道は閉ざされてしまいます。

「的外れな頑張り」と「求められないアドバイス」

もっと困るのは、依頼した本質的なことは未完成なのに、頼んでもいない別のことを一生懸命やって「やってます!」という雰囲気を出すケースです。

これには「必要のないアドバイス」も含まれます。 アドバイスというものは、必要としている人が求めるから価値がある。求めてもいない相手に自分勝手な助言をしても、相手は苦笑いするしかありません。

なぜ苦笑いなのか。それは「求めているのはそこじゃない」と伝えたところで、相手は「良かれと思ってやっているのに!」と再び感情論で返してくることが目に見えているからです。

議論を諦めるのは「優しさ」ではない

事実に基づく理屈に対し、感情論で返される。この議論に付き合うのは本当に疲れます。 「より良い方向へ向かおう」というゴール設定の人と、「自分が正しいかどうか」が最優先の人。前提条件がここまで違うと、絶対に相容れません。

こういうことが続くと、周囲はその人と対話することを諦めるようになります。 感情論に対して何も言わないのは、決して「優しい」からではありません。ただ「面倒くさい」のです。限られた時間の中で、平行線の議論に神経をすり減らすのは経営資源の無駄でしかありません。

その結果、どうなるか。 仕事上の効率を優先するために、その人を飛び越えて物事を進めるようになります。それは好き嫌いの問題ではなく、仕事を完結させるための合理的な判断です。

信頼の分岐点は「他責」の先に

さらに追い詰められると、感情論の人は「誰かのせい(他責)」にし始めます。 では、信頼を得られる人とそうでない人の差はどこにあるのか。

仮に他人に非があったとしても、まずは「自分にできることはなかったか」を本気で考えられるかどうか。 相手も人間ですから、動くスイッチは人それぞれです。伝え方、タイミング、仕組みの作り方……。そこを深掘りせずに「あの人が悪い」で終わらせてしまうのは、あまりに思考が浅いと言わざるを得ません。

人間関係の泥臭い部分を突き詰めて考えていくと、実は感情論ではない「論理的な解決策」が見つかるものです。それが技術や知識の深みとなり、結果として「この人なら」という信頼に繋がります。

発する言葉がいかに綺麗でも、裏付けとなる思考が浅ければ、人はついてきません。 見返りを求める下心や、自分を守るための虚勢は、案外簡単に見透かされてしまうものです。